誠実な写真のあり方とは、観客に対してではなく、自分自身に対して誠実であることだ。つまり、自分の意志のままにシャッターを切ることである。たとえ「ただ鮮明に撮るため」であっても、小細工(テクニック)に頼ることなく、泰然とシャッターを切る。昼休みの時間、外で写真を撮る人も、街を歩く人も少ない。光は満ち溢れており、撮影には最適である。


誠実な写真のあり方とは、観客に対してではなく、自分自身に対して誠実であることだ。つまり、自分の意志のままにシャッターを切ることである。たとえ「ただ鮮明に撮るため」であっても、小細工(テクニック)に頼ることなく、泰然とシャッターを切る。昼休みの時間、外で写真を撮る人も、街を歩く人も少ない。光は満ち溢れており、撮影には最適である。


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ある種の写真の撮り方がある。それは「無意識」にシャッターを切る撮り方だ。
何かを探し求めるのではなく、ただ身体に任せて写真を撮る。
後でパソコンの画面で見返したとき、そこに新しい自分を再発見する。
そんな「無意識」なあり方は、きっと多くの人の生き方そのものなのだろう。

蜃気楼を見るために、わざわざ海辺へ行くことはない。
街を歩いていれば、毎日が蜃気楼のようなものだ。
ふと顔を上げると、都市も、遠くの景色も、天の際も、
茫々たる人混みの中に浮いている。
ある友人は、「そんなに花を撮っていると、まるで引退したお年寄りのようだね」と言う。
けれど、私は花を撮るのが悪いことだとは思わない。
毎日見上げる青空や白い雲、そして咲き誇る花々。
この素晴らしい春の光景を、撮らずにいられるだろうか。



私は617(シックス・バイ・セブンティーン)の画幅が好きだ。風景であれ、建築であれ、あるいはストリートスナップであれ。
実は、ずっと心の中に「617」への憧れがあった。617画幅のパノラマ写真集を買い、何度もページをめくっては、その圧倒的な視界に思いを馳せてきた。
しかし、私はあまりにも巨大なカメラを持ち歩くことを好まない。
すべての夢が必ずしも「形」として実現される必要はないし、すべての欲望が100%満たされる必要もないのだと思う。
今、私はあえて「クロップ(切り抜き)」という手法をとる。 それだけで、私が617という画幅に抱いていた期待と昂ぶりは、十分に満たされるのだから。